脱衣場に入る際、おじさんからタオル類を渡されたが、その中に白い正方形のふんどしがあった。最初はその物体が謎であったが、周りを見渡すと、皆しっかりと
腰に巻いている。このふんどしは、湯に浸かる時もずっと巻いたままであり、ハンガリーの伝統的な入浴のスタイルなんだ、と慣れない様子の僕に察してくれたのは、近くにいた眼鏡のおじさんが教えてくれた。
浴場に入ると、目を開けていられないほど白い湯気が立ち込めていて、中央部には円形の大きな浴槽が一つと、その周りには温度の異なる小さめの浴槽が囲むよ
うにしていくつかある。奥には、サウナ、マッサージルーム、仮眠室なども完備していて、施設だけの環境で言えば、日本の健康ランドにやや近い。しかし、小
じんまりとした外観とは異なり、内装は立派な石造りで、ビクともしなそうな太い円柱が支えている。ドーム型の高い天井には、いくつかの小窓から外の光が差し込み、その光が薄暗い室内に満ちている白い湯煙を幻想的に照らして、何だか古代の建物の中にいるような壮大な雰囲気が浴場内にはある。
湯に浸かった瞬間、ヨーロッパでしばらくシャワーしか浴びていなかったせいか、全身の力が一気に抜けて、ほっとしてしまった。そして、やはり俺は風呂好き
の日本人なのだと心から実感した。ただし周りには、日本人ではなくてハンガリー人ばかりだ。おまけに若者はほとんどおらず、中年の人が目立つ。なかには、
熊のような巨体の人がいて、隅にある小さな浴槽にその身を勢いよく投じた瞬間、その半分近くにもなりそうな湯がどっと溢れ出た。健康のために、温泉を利用
している人も多いようである。そういう意味では、日本人とも共通している。
このルタージュ温泉は、今から400年も昔に建てられ、当時のハンガリーは、オスマン帝国の支配下にあった。そして、このルタージュ温泉も彼らオスマン人によって建てられたものである。浴場内にあった水飲み場には、当時のオスマン帝国の英雄の名前が刻まれていた。
「ハンガリー人の多くは、本当はプールのような巨大で野外の温泉が好きなんだ。ここは見ての通り、完全屋内だろう。それは、ここが我々の先祖が建てたわけじゃないからね」
と、先ほどの眼鏡のおじさんが湯に浸かりながら説明してくれた。僕はおじさんと会話を続ける。話がブタペストの話に変わった。
「僕
がまだ若い頃は、ドナウ河には今のように大きな橋が何本も架かっていないから、みんな小さな船を使って渡ったんだよ。真冬は、川がコチコチに凍るから、み
んな歩いて渡るんだ。馬を率いてソリで渡っていた人もいたよ。我々には、それが楽しい思い出だった。今では冬になっても川はちっとも凍らなくなってしまっ
て残念だよ」
と、おじさんは寂しそうに自分の昔話を語ってくれたのだった。
1872年にブタとペストが合併するが、その合併への過程は大変なものであった。ブタとペストのような小さな町が他にもたくさんあったが、当時はオースト
リアとの二重帝国の時代で、オーストリアの皇帝が言わば、ハンガリー王国の支配力を握っていた。当時のハンガリー各々の町には、独力で町を合併するなどの
力もなく、それぞれの町内での規制も厳しかった。1918年、この二重帝国は解体するが、それ以前にはすでにブタとペストは合併し、準首都に命ざれた。ハ
ンガリー王国側にしてみれば、それは相当の妥協があったに違いない。オーストリア皇帝の保養地ともなっていたブタペストは、ウィーンから地理的にも非常に
好都合だったという点もあるだろうが、この街には、そうしたオスマン帝国からオーストリア皇帝の権力が根付いていると共に、近代ではソビエト連邦の軍事介
入などの影響を多大に受けている。「東欧」と聞くと、ヨーロッパ内において経済発展が遅れ、どうも治安が良くないイメージがあった。しかしこの街は、ハン
ガリーの政治・経済を担う中欧最大の都市でもある。
おじさんの話は、ついに日本のことに移っていく。僕が日本人だと知ると、
「日本の映画はおもしろい。特にクロサワ映画はね。僕は七人の侍が好きだよ。もう何回も見たなぁ。日本のどこに住んでいるんだ? 」
と、僕が「YOKOHAMA」だと答えると、
「おぉ~ヨコハマァ! ブルーライト・ヨコハマという歌を昔、ラジオで聞いたことがある。意味は分からなかったけど、いいメロディだったね。ぶるぅ~らいとぉ~よこぉはまぁ~♪ こんな感じだったか? 」
そして、東京については、
「確か、東京オリンピックを当時、世界初の衛星放送で見ていた覚えがあるな。あの時、初めて東京という街をブラウン管から見たんだ。あれは感動したなぁ~」
と、
こんな具合に、おじさんは日本と自分の思い出を重ねて語り明かしてくれたのであった。少なくとも僕にとっては、自分の親の世代の話である。当時の彼の生活
事情が、僕の親父の若い頃の生活事情と重なっているような気がした。とにかく、ハンガリー人のおじさんが、ここまで日本について知ってくれていて興味を
持ってくれているという事実は、やはり当時の日本が急速な速さで高度経済成長を遂げ、世界に様々な影響を与え始めていたことと無関係ではないだろう。また
経済的な影響だけでなく、先に述べたクロサワ映画については、旅で出会った多くの人間が口にしていたのである。
旅行中、毎日のように「どこから来たんだ?」という質問を色んな人から受けるが、「JAPAN!」と答えるだけで、少なからず、そうした祖国の先輩が残してくれた輝かしい功績のおかげで、実に多くの人たちが関心を示してくれた。どこの馬の骨とも分からない旅行者にとって、それは非常に嬉しいことであり、ありがたいことであった。
湯に浸かりながら、長い間おじさんの話を聞いていた僕は、完全にのぼせてしまった。ちなみに、いつもどのくらいこの温泉にいるのか、と、おじさんに聞いてみると、
「長い時は、6時間くらいはいるかなぁ」と、あっさり言い放った。それを聞いて、僕は湯から出た。何だか負けた気分になってしまった。